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覚えてますか8

昭和50年代の一番街

八幡一番街東側ゲート付近

当時は一番街でも子供がたくさん遊んでいました。

写真は現在のリサイクルブティック ミズさんの前あたりから、東側ゲート方向に撮られた写真です。
商店街のゲート看板や街路灯がなつかしいです。
車は初代カローラで、一桁ナンバーが時代を感じさせます。

 

一番街で遊ぶ子供たち

2枚目はうえだ別館さんと隣の不動産屋さんとの境目あたりで遊ぶ子供たちの写真です。
当時は、暗渠(歩道?)と道路の境にガードレールのようにフェンスが張ってあったのがわかります。
写真が撮られたは初夏の様で、理科の観察用でしょうか後ろのフェンスに朝顔が栽培されています。とてものんびりした時代を感じます。

あのころは、年上の子供が一緒に遊びながら兄弟であるなしにかかわらず地域の年下の子供の面倒を見る、そんなことが当たり前でした。

覚えてますか6・カラカス

カラカス 「岡 晴夫の店」

岡晴夫の店 カラカス
昭和45年当時のカラカス
写真提供:市川市文化振興課

昭和40年代まで、岡 晴夫の店 カラカスが、ここ八幡一番街商店会のちょうど現在、萌季屋さんのある建物の場所にありました。

 

岡 晴夫さんは、歌謡曲「あこがれのハワイ航路」をはじめとするの数々のヒットを飛ばされた当時日本を代表する名歌手であり、当時本八幡在住でした。

 

写真は、昭和45年当時のカラカスです。エントランスには庇が付き、壁面にもデザインされた電飾がつく、しゃれた外観でした。

憧れのハワイ航路

東京の花売り娘