「八幡一番街」は終戦後、通り面の水路に橋のように板を渡し、自然発生的に店が出来ていったのが始まりです。(現在、暗渠になっているところがその名残です。)その後、食料品販売の地元メッカ的な「ショッピングセンタービル」などを中心に飲食・食料品店主力の商店街が形成発展してゆきました。
特筆すべきは昭和の大歌手「あこがれのハワイ航路?岡晴夫・本八幡居住」経営のクラブ「カラカス」があったこと、今や国民的なレストラン「サイゼリア」が昭和40年前半に1号店として創業したことです。
個々の店主が日本経済の発展と共に良好になりわい、通りは賑わい、12月などの繁忙期となると人々がぶつかる位の人通りでした。
どこにでも栄枯盛衰があり、個々のお店の出・退店などの新陳代謝はありますが、シャッターが閉まっているところがほとんどないのがこの商店街の特徴です。
平成25年よりの商店街役員現体制(若返り)により26年10月には商店会初の全体イベント「いちフェス」を開催、総来場者7700名超と望外の成功を収めました。昨年より街路灯にフラッグを取り付け、管球LED化によりイメージチェンジ計画が進行しております。
まだまだ今後も徐々ではありますが、着実に進化し、ご来訪の方々に商品・サービスはもとより、魅力を感じていただけるよう積極的に「仕掛けてゆく」商店街をめざしています。
※写真提供:市川市文化振興課